編集後記

「油の旅を終えて」

本書は,明治34年創設された東京油問屋市場の歴史と油商人のルーツを訪ねる旅である。明治34年という年は新しい油脂原料である大豆が満州から輸入されて,それまでの手工業的な搾油工場から近代工場へと脱皮していく変革の時期である。

我が国における植物油脂の歴史は古く,平安時代にまで遡る。貞観年間(859),大山崎離宮八幡宮の社司が長木による荏胡麻の搾油を開始した。当初は社寺や宮廷の灯明用に使われたが,江戸時代には主として菜種油が行灯の油として武家屋敷から農村・漁村まで,全国津々浦々に"あかり"を灯していたのである。

江戸の人々にとって灯油は米に次いで日常生活に欠かせない大切な物資であり,幕府はそのため油価を抑制することで,武士や庶民の暮らしを守ろうとした。安定した価格と安定した供給を目指した幕府は,油問屋(と絞油業者)を統制下に置く一方で,独占販売を認めるなどの手厚い保護政策をとった。万治3(1660)年,江戸の油問屋が霊岸島に東京油問屋市場のルーツとなる「油仲間寄合所」を作ったのも,そうした幕府の保護政策の後ろ楯があって初めて可能であった。そして江戸の豪商達は元禄7(1694)年に廻船問屋の不正行為を抑えるため江戸十組問屋を結成し,河岸組(油問屋)もその中の重要なメンバーとして加わり隆盛を誇った。明治以後に活躍する有力な油問屋の源流は,この十組問屋にあるといっても過言ではない。

しかし,そうした老舗の油問屋も,明治になって登場したランプと石油の輸入増大という大変革に対応できず多くは衰退の道を歩み,さらに大豆油の登場がそれに拍車をかけることとなった。加えて,大正12年に起こった関東大震災は多くの油問屋に未曾有の大打撃を与え,これをきっかけとして油問屋組合の顔触れが一変した。

昭和に入ると昭和恐慌,第二次世界大戦と波乱の時代が続くが,統制という戦争中の混乱期の中で油問屋市場の先人達は,油脂配給労務挺身隊を組織し油の配給を滞らせることなく供給責任を見事に果たした。こうした組合の団結力,そして戦後の飢餓から立ち上がり,幾多の困難を乗り越えて平和な国を築き上げて来られた諸先輩の努力が,今日の100周年に繋がったように思う。

本書の編纂にあたり,度重なる震災火災に見舞われた江戸・東京の古い資料を探すことは困難であったが,幸いにも多くの方々のご協力を得て,曲がりなりにもまとめることが出来た。ご不満な箇所が多々あると思うがご容赦願いたい。今後の研究に少しでもお役に立てれば幸いである。

終わりに当たり,寛大なお気持ちでご指導下さった慶応義塾大学名誉教授白石孝先生に御礼申しあげます。また,私と一身一体となって,わがままな共同作業に辛抱強く付き合い,執筆に当った幸書房の平岩さんと,ふたりの作業を暖かく見守りながら,困難な編集をまとめて下さった桑野社長に心より感謝したい。この記念誌が御協賛各社の過分なご支援なくして完成し得なかったことは,今さら申すまでもありません。

東京油問屋市場100周年記念誌・編纂委員会委員長島田孝克