エジプトから地中海世界へ
油の歴史は,植物油の中では,特にオリーブ油と胡麻油に関して,古い記録が確認されている。
『旧約聖書』冒頭の「創世記」には,大洪水の時, ノアが方舟から一羽の鳩を飛ばし,その鳩がオリーブの葉をくわえて戻って来たことで,水が引いたことを知る記述がある。オリーブは,今から5000年ほど前,紀元前3000年代には,
エジプトを中心とする中近東世界で栽培されていた。
古代エジプト人は,死者の魂は必ず帰って来ると信じ,復活の日に備えて,高貴な人物の遺体を,ミイラとして保存した。そのため,腐敗を防ぐための香料に関する豊富な知識と技術を蓄積
するに至ったのである。香料は,ミイラづくりだけでなく,種々の宗教儀式や日常生瀬にも広く使われていた。墓の壁画には, 宴会に出席した人々の頭の上に香料の塊が乗せられている場面がしばしば描かれている。
香料の主原料は油である。香料に最も適した油は, 今日では顧みられることのないバラノス(バラニテス,バルサムとも)油で,バラノスの木は当時スーダンやエチオピアには広く自生していたが,エジプトでは珍しく,高値で取り引きされたという。
香りが強く,最も粘性が低い特徴がある。これに次いで適するのが,新鮮なオリーブ油とアーモンド油とされる。ラムセス三世は, 王家専用の油畑を持ち,オリーブを栽培していた。しかしエジプトのオリーブは品質が悪く,実を食べるのが主用途だったといわ
れる。油分が少なかったか,搾油法が悪かったかは定かではない。エジプト王国は,アジアの従属国に命じて,オリーブと胡麻の油 を貢ぎ物として提供させた。後には,それでも足りずに金を払って輸入もした。ただし,オリーブ油に関しては,エジプト人は,
ギリシャやレバノン,シリアの人々ほどの愛着は持たなかったともいわれる。
香料用の油としては,他にワサビノキ油,ヒマシ油,アマニ油,サフラワー油などが使われた。近年発掘された資料の記述によると
油は品質によって等級が分かれ,特級の柚には,甘い油,白い油,緑の柚,赤い油,樹脂の甘い油などがあった。主な搾油の場所は, エジプト国内とシリアであった。
古代エジプトでは,油は香料の他,灯りとして,また医薬品・化粧品としても幅広く使われた。食用もわずかにあった。医薬・化粧分野もミイラ技術の応用が利くエジプト人の
得意分野であり,軟膏,女性器用座薬,洗顔料,しわとり液,包帯薬,駆虫剤などに加工された。
プトレマイオス朝(紀元前350〜同30年)時代になると,油が国家の財政に影響を与えるほどになり,国家が油の生産と販売を全て統制することとなった。主な油脂原料の作付け面積は国家が定め,種も国家が支給した。牛や羊などの
動物油脂を植物油に混入することも固く禁じられた。大量の灯明を必要とする神殿 には自己搾油を認めたが,それを外部に販売することは禁止された。この法律は,
歩留りが良く,当時量産されていた胡麻,リシナス,カータマム,コロシンス,アマニの5種に適用された。
オリーブ油は,エジプトでは主流の油にはならなかったが, 地中海世界に伝えられると,食用油として急速に普及し,オリーブ油文化圏とも呼ぶべき栽培・使用地域を形成した。オリーブ油を西方世界に伝えたのは,世界を股に
かけて交易をしていたギリシャ人・フェニキア人だったといわれている。紀元前3000年までには,既に地中海のギリシャからスづイン,北アフリカへかけての地域では,
風車を使ったオリーブの搾油が行われていた。
古代ギリシャでは,オリーブ油は“液体の黄金”と呼ばれ,他の油脂とは区別されていた。オリーブ油は三等級に分けられ,一級と二級は食用に,三級は灯りに使われた。
古代ローマでも,紀元前1000年代からオリーブ油が食用油の主役となり,バージンオイルが最も良い油とされた。
キリスト教社会では,オリーブ油が洗礼の際に用いられ,また死者の顔にも塗られる。この面からも,他の油とは違う 特別の油という意識が維持されている。地中海沿岸諸国では,今日でも食用油の中心は
オリーブ油であり,オリーブ文化は5000年の長きに渡って伝えられている。
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