油座
さて,その中で油座である。前節で述べたように,中世までは,油の販売は,寺社の神人,寄人がほとんどを占めており,これらの特権商人達が集まることで,「油座」が形成され
た。したがって,その起源は非常に古い。主な油座を見ると,九州宮崎八幡宮の油座は,遅くとも平安末期には成立していたと推定され,醍醐寺の油座は,鳥羽天皇の久安年間(1145〜)に,既に記録に登場する。
そして油問屋市場と縁の深い大山崎の油商人は,遅くとも貞応年間(1222〜1224年)には,商業集団として機能していたと推測される。
中世の前半には,油は贅沢品であり,寺社や公家が夜間の燈明に用いるだけだったが, 貨幣経済が発達し,生活レベルが向上すると,地方豪族なども,夜間照明のために油を求めるようになった。その結果,油座の中でも,商才に長けた特定の座が,突出した勢力
を獲得するに至る。大和の国に,符坂座という油座があった。当初は,輿福寺春日社に燈油を奉仕するだけの集団だったが,東大寺の油倉(大仏殿の燈油を貯蔵する機関)への販売を請け負ったのを皮切りに,次々に勢力を拡大し,ついには奈良一帯に,油の独占販売網を張り巡らすに至った。こうなると,各地で利権を巡る騒動が巻き起こる。
大和の南方に起こった矢木座は,胡麻の購入を巡って符坂座と衝突し,長年に渡って闘争を繰り返した。
この矢木座であるが,この時代としては,際立った特色を持っていた。すなわち,各地で栽培された胡麻を購入して,これを売り捌くという。しかし当時の経済状況や商圏から見て,小売り業だけで利益を得るのは困難で,彼らの本業は農業で,余暇を利用して商売をしていたとする見方が有力だ。商業化の進展とともに,座は寺社などの特権への依存度を弱め,村落社会との結びつきを強めていく。第三勢力と呼ぶべき木村座も,拝津の天王寺近辺の木野村の農民達が結成した座であった。
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