江戸のはじまり
慶長8年(1603年),関ケ原の合戦に勝って天下人となった家康は,江戸城 の改築と同時に,大規模な江戸の街づくりに着手した。不毛の湿地に茅葺き屋根が点在する江戸は,
百万都市に生まれ変わった。その最大の目的は,埋め立て工事によって,住宅地と商業地を造成する ことにあった。 駿河台にあった神田山が跡形もなく崩され,その土で日比谷,日本橋,京橋などの埋
め立て地が作られた。その発想と基本的技術は,後世に受け継がれた。二代将軍・秀忠は,伊達政宗 に命じて,本郷の台地を崩して御茶の水に川をつくり,湯島台と駿河台を分離した一方,芝崎町(
現大手町)にあった神田明神を,将門首塚を除いて北西の湯島に移して江戸総鎮守とし,風水上も 完璧を期した。港湾も整備して, 大型船の入港を容易にした。江戸の人口は,約100万人,後期には130万人以上ともいわれるが,流動が激しく,計算の仕方
もまちまちで,実際のところは判明していない。男女の比率は,中期には男6に対し女4と不均衡で,参勤交代の単身赴任に よるところが大きい。
このため,吉原の遊廓が栄えた。後期には,是正されて,ほぼ同数となったとみられる。江戸では,未曾有の大都市が出来 たことで,歴史上初めてゴミの処理が問題になった。
糞尿は肥料としてすぐ買い取られたが,一般ゴミは,火事になるので 野焼きが禁止されたため,河川への投棄が大問題になった。そこで幕府は次々に埋め立て地にゴミ捨て場をつくり,税金
(芥銭)で指定業者の船を運営して運ばせた。結果的に,江戸は世界の他の大都市には例を見ない清潔な環境を維持した といわれる。
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