佃島住吉神社の起こり
油の神様として知られる住吉神社のある佃島は,徳川家康ゆかりの土地として知られている。佃島は漁業の村であったが,住民は土着の人々ではなく,家康の命をうけて,大坂の佃村より移住してきたものである。家康と佃村との縁については様々な伝承があるが,天正18年(1590年)8月,家康が江戸に移る際,佃村の漁夫と,住吉明神の御分神霊を奉拝した平岡宮司が随行したのが始まりとされる。佃島の漁民は漁業技術に優れ,幕府の保護を受けて,毎年,将軍の食前に白魚を献上していた。
住吉神社は,正保3年(1646年)に社殿が建立された。この時,底筒男命,中筒男命,表筒男命,神功皇后の御霊四柱を「油脂神四座」として祀るとともに,徳川家康の御霊も祀った。
住吉神は,『古事記』『日本書紀』にも登場する由緒ある神霊であり,楔祓神,軍神,海上の守護神,和歌神,農耕神など多彩な顔を持ち,幅広く信仰されてきた。現在の大阪市住吉区にある住吉大社は,全国に2,100社以上ある住吉神社の総元締めで,前章で述べた通り,遠里小野の搾油業は,住吉大社の保護により,大きな発展を得た。
佃島の住吉神社は,船の安全の神様として知られ,江戸十組問屋も信仰していた。神社は,菱垣廻船と樽廻船に対して船手形を発行し,往来を保証した。江戸と奥州の間に航路が出来た時にも,住吉講が設けられた。十組問屋の中の河岸組(水油・色油問屋)は,毎年1月20日を参拝の日と定め,揃って祈願に参詣した。この参拝は,今日の油脂業界にも連綿と引き継がれ,初詣を行っている。
住吉神社の社殿は慶応2年(1866年)の火事で全焼したが,明治3年(1870年)に再建された。
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