大坂の油問屋
原料の問屋と,油の問屋は,はっきり分かれていた。農地で集められた原料は,菜種は菜種問屋に,綿実は綿実問屋をそれぞれ通して,絞油屋へ送られる。そこから直接小売りに出される商品もあったが,流通の全国化に伴い,多くは油問屋を通して市中に出た。
むろん,経済と海運の発達だけでは,油問屋の全国展開は成立しえない。前節で見た,搾油技術の向上で,菜種油や綿実油の量産が可能になり,油が特権階級の手を離れて,庶民の手の届く商品となったことが大きい。
全国流通の拠点となった大坂には,諸国から油商人が集まり,中でも京・大津の商人が多かった。彼らは大坂京橋三丁目の加島屋三郎右衛門方を油宿として,山城方面の油を買い集め,諸国に販売した。京口油問屋の始まりである。こうして諸国から大坂に油が集まったため,大坂に荷受問屋をつくろうということになり,13軒が店を開いた。出油屋である。
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