明治時代の油取引所の変遷
こうした大きな変動期にあって,油問屋の組織も大きな影響を受けることとなった。
先述したように油問屋は,築地の鉄砲洲に設立された貿易商社に糾合され,その中で油の限月取引を行った。貿易商社が東京商社と改称し,兜町海運橋際に移転するとともに,油問屋もその構内に油会所を新設して売買を行ったと「東京諸問屋沿革史」などに記されている。一方,明治の初めの油市場の状況については「黄金の花」(日本植物油沿革略史)に「明治初年に到り同地油商有志が『油商社』を結成し,河岸の遊船茶屋の2階をり受け,隔日に立会いを行い油の現物並に延商内を為しつつあった」と記述されている。東京商社の油会所が大いに賑わったことは事実で,明治20年前後の東京油会所について,「石油王・小倉常吉伝」(小倉房蔵氏の口述による伝記だが未刊行)には,長谷部商店の支配人となった小倉常吉が隔日に東京油会所に通っていたことが述べられている。それによると,取引人は50〜60人にも達し,取組高も多く関東の油市場の中心として栄えたという。
当初は株仲間的な組織を認めなかった明治政府だが,その後同業者の組合結成については積極的に進めるようになった。その方針の下,東京府は明治13年に同業者組合の設立について,組合規約を作成して設立願いを出すよう促す通達を出した。
これを受けて明治14年1月,下り・地廻り油問屋および仲買などが連合して組合の規約を制定し,東京府知事に「問屋・仲買 油商組合」の認可申請書を提出して認可を得ることができた。その時に作られた「問屋・仲買 油商組合規約書」によると,問屋には関東8州以外より油を購入する下り問屋,関東8州で生産される油を東京に持ってくる地回り問屋の2つあったことが分かる。下り油とは,摂可泉,伊賀,近江,美濃,尾張,三河,播磨等の地方より産出する油のことを差し,大坂からの菱垣廻船,あるいは各地の港から和船や蒸気船で運ばれた。地廻り油とは,相模,武蔵,安房,上総,下総,常陸,上野,下野といった関東地方から産出する油のことをいい,主として川筋より川船で運ばれた。
問屋は仲買人以外の小売やその他の需要者に直接油を販売することを禁止され,仲買人は問屋から油を買って小売り販売するものとされ,地方に赴き各産地において油を買い入れることや,東京に輸送される品物を引き受け独自に売りさばくことを禁止している。しかし,水油問屋(下り問屋),地廻り問屋,仲買人を兼ねることは認められており,実際にほとんどの問屋は同時に仲買人でもあった。江戸時代のような問屋,仲買,小売の厳格な区別はできるべくもなかったのである。
油商組合の頭取は岩出惣兵衛,副頭取は田畑謙蔵(小野善次郎代理)であり,71名が会員になっている。71名の会員の中に2000年現在の東京油問屋市場の関係者としては,島田新助の名前が見える。
岩出惣兵衛は江戸十組問屋で,鰯魚の〆粕や魚油を扱っていたヤマダイ伊勢屋惣兵衛の9代目に当たり,明治半ばには代々続いていた魚粕の肥料問屋として全国にその名前は鳴り響いていた。ちなみに東京の民間人として,最初に電話がついた人として昭和55年5月25日の読売新聞に紹介されている。明治23年のことで,日本銀行や外務省と同時期に開線したという。
明治政府の同業組合設立に向けての方針は一層確かなものとなり,「明治商工史」には「外国貿易の発展は益々当業者の協同一致を必須とし,一般の法令を以て組合を統制するの急務を感ずること一層切なるに至りしを以て,明治17年11月農商務省は府県に対し同業組合準則を発布し,各府県は之に依準し更に同業者組合準則を管下に発布するに至れり」と述べている。
明治20年前後の東京府農商課には,組合設立願,役員選定届け,組合不加盟者説諭願いなどの同業組合設立関係のものが山積していたことを「維新前東京諸問屋商事例集」(昭和32年7月刊・東京都都政史料館)は報告している。
こうした背景もあって,明治18年12月18日付けで「東京油商組合」の設立認可が,東京府知事によって行われている。この東京油商組合は,東京油問屋,東京地廻り問屋,東京油仲買の3者で構成されていた。この時には頭取が長谷部喜右衛門,副頭取が伊井吉之助に変わっている。
東京油商組合の規約は明治14年に作られた「問屋・仲買 油商組合」の規約を踏襲しており,大きな変化はない。組合が実際に設立されたのは翌19年のことで,東京商品取引所内に『油部』を新設し,油の現物,限月商いが行われたという。
『東京油市場』が設立され,東京都の認可を得たのは明治25年11月4日のことで,頭取に長谷部喜右衛門,副頭取に吉村安之助,橋本武男,小池佐市,伊井吉之助の4名が設立願書に名を連ねており,東京油商組合の幹部と同じ顔触れになっている。問屋と仲買(最大30名)により創設され,1人当たり300円の身元信認金を出資し,これにより運営された。売買は現物取引のみとされ,売買が成立した場合は,原則として即日現品の受渡しを行うという規定が置かれた。しかし,油市場による取引は油の規格の問題や受渡しについて度々紛糾を重ね,ほどなく解散することとなった。
|