復活した“油まつり”

 昭和26年に第1回が行われて好評を博した“油まつり”は,その後も行われたが準備に大変なエネルギーを要することから,次第に間隔が開くこととなった。しかし,昭和37年に米国(日米大豆調査会)の協力を得て大豆油販売促進運動に取り組んだことから,“油まつり”の復活気運が盛り上がり,油問屋市場は東京都油脂小売商業協同組合と共同で,昭和38年10月15日から11月5日までの期間で装い新たに実施することとした。ことにマスコミの注目を浴びたのは,老人ホームや施設の子供たちへのドーナツのプレゼント。11月4日から9日までの6日間,児童施設38,老人ホーム16を訪れ目の前でドーナツを揚げ,次々と手渡して喜ばれた。また“油まつり”の一環として,「小・中学生の油に関する綴り方」の募集を行い,優秀作品の表彰式を12月3日に東京商工会議所において行った。


第1回製販懇談会を開催

 昭和42年(河合誠一郎理事長)より定期的に製販懇談会を開催することとし,その第1回会合を2月23日に新橋の第一ホテル別館において開いた。賛助会員(メーカー)から44名,市場営業人43名,報道関係6名の合計93名が出席した。第一部を懇談会,第二部を懇親会とし意思の疎通を密にした。



東京油問屋市場ニュース第1号発行

 金田勝次理事長の就任を受けて,昭和44年8月1日付けで「東京油問屋市場ニュース」が創刊された。市場の行事を記録として残すこと,市場営業人の情報を広く伝えること,建値を掲載することなどを目的とし,ほぼ2ヵ月に1回のペースで発刊された。投稿も積極的に行われ,昭和45年7月30日付けの第9号では,T.Y生の名前で「油問屋が配送センターを持って,共同倉庫と共同配達に踏み切らない限り,何時とはなしに自然と小口得意先を手放していく運命にあるのではなかろうか」といった提案もなされている。
 その後東京油問屋市場ニュースは昭和48年6月1日付けまで発行され,通し番号で21号が最後となった。昭和46年11月から「全油販連ニュース」が発刊されており,いずれも遠山智秋(平成3年5月まで東京油問屋市場事務局長)編集によるもので,同時に2つのニュースを出し続けるのは物理的に無理であった。「東京油問屋市場ニュース」は,「全油販連ニュース」に発展解消したということである。全油販連ニュースは,一時中断はあるもののその後も継続して発刊されている。